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旅行実践記
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かつて関西国際空港から、JALの飛行機でロンドンやパリへ、ANAの飛行機でシドニーへ向かうことができました。
関空の開港から30年余り。いまの路線図を見慣れていると、意外に思う行き先もあります。JALはシカゴやフランクフルトにも自社便を飛ばし、ANAも欧州やオセアニアに路線を広げていました。
その後、JAL・ANAの長距離国際線は相次いで再編されます。けれども、関空そのものが国際空港として役割を失ったわけではありません。外国航空会社やLCCが便を増やし、空港の姿は大きく変わりました。
では、この30年余りで何が起きたのでしょうか。「関空国際線30年史」では、JAL・ANAの路線を軸に、関空の国際線の主役交代を追っていきます。
1994年9月4日、関西国際空港が開港しました。それまで大阪国際空港(伊丹)に発着していた国際線は関空へ移り、関西の空の玄関口が新しくなります。
新空港の誕生に合わせ、JALは「関西エクスプレス」と名付けた3路線を開設。ロンドンとロサンゼルスは開港当日の9月4日、パリは9月6日に運航を始めました。
一方、伊丹時代から飛んでいた上海、北京、香港などの路線も関空へ引き継がれています。既存路線の移管と新路線の開設が重なる形で、関空の国際線はスタートしました。
開港は、飛行機の発着場所が変わっただけの出来事ではありません。JAL・ANAが関西発の国際線を広げるきっかけにもなったのです。
JALは開港時の欧米3路線に続き、1996年にはフランクフルト線、ミラノ経由ローマ線を開設。1999年にはシカゴ線も加わりました。中国や東南アジアの路線を含め、関空からさまざまな方向へ翼を広げていきます。
ANAも積極的でした。開港時はシンガポール、ソウル、中国方面などから出発。同年10月にはブリスベン経由のシドニー線を開き、翌1995年にはロンドン、ローマへ。1996年にはフランクフルト経由ローマ線なども加わりました。
ANAが1997年9月に発表した資料によると、関空発着の同社国際線は開港当初の週18便から週74便に増加しました。わずか3年で4倍を超える規模です。
JAL・ANAの機材が、関空から欧州、北米、オセアニア、アジアへ飛んでいた時代。1990年代後半の時刻表には、現在とは違う路線網が載っていました。
しかし、その路線網がすべて定着したわけではありません。
ANAは2000年11月から関空発のロンドン線とフランクフルト線を運休。ANAの2001年年次報告書では、成田路線を中心に収益性を高める方針が説明されています。
JALでも欧州線の運航休止が進み、オセアニア線やアジア線も再編されました。2000年代の路線見直しを経て、2010年前後には経営再建に伴う整理も加わります。
もっとも、運休の理由は路線ごとに異なります。需要や採算、機材の使い方、首都圏への路線集約など、すべてを一つの理由で説明することはできません。
なぜ関空から飛ばなくなったのか。
この問いには、当時の事業計画や時刻表を照らし合わせながら、各回で向き合います。
JAL・ANAの路線拡大から再編、外国航空会社やLCCの成長まで。関空の30年余りを年表にまとめました。
JAL・ANAの路線が減ったと聞くと、関空の国際線全体も縮小したように感じるかもしれません。ところが、空港全体の数字を見ると違う景色が見えてきます。
関西エアポートが公表した夏期ダイヤの推移では、2000年の国際定期旅客便はピーク時で週555便でした。これに対し、2025年7月のピーク時は週1,517便の計画。およそ2.7倍の規模です。
2000年は過去の実績、2025年は計画値という違いがありますが、いずれも夏期のピーク月を比較したものです。貨物専用便は含んでいません。
外国航空会社は、開港当初から関空に就航していました。その後も韓国、中国、台湾、東南アジアなどから多くの航空会社が乗り入れ、関西と海外の都市を結んできました。
欧州や中東方面でも、外国航空会社が自国の拠点空港を通じて世界各地への接続を担っています。
旅行者の目線でも変化があります。JAL・ANAの自社便だけでなく、ソウル、台北、香港、シンガポールなどを経由する旅程も選択肢です。
同じ目的地でも、航空会社や経由地によって運賃や所要時間、受けられるサービスが変わります。関空から海外へ向かう方法は、以前より多様になりました。
そして2012年、関空を拠点とするPeachが就航。5月8日にはソウル(仁川)線で国際線にも進出しました。韓国や中国など海外のLCCも便を増やし、関空のネットワークを広げていきます。
2025年冬期の関空では、12月のピーク時に国際定期旅客便が週1,553.5便となる計画でした。そのうちLCCは週735.5便。割合は47%で、ほぼ2便に1便を占めています。
ただし、便数が毎年増え続けてきたわけではありません。
2026年夏期には、中国路線が大幅に減少しました。関西エアポートが3月に公表した夏期ダイヤでは、前年同期比70%減の計画。6月の中国方面の旅客数も前年同月の37%にとどまりました。一方、韓国や東南アジアなどでは、前年を上回る旅客実績が出ています。
日系2社の長距離路線が減った一方、関空全体では別の航空会社が路線を広げた。この二つを一緒に見なければ、関空の30年余りは見えてきません。
かつて乗れたJAL・ANAの直行便がなくなった都市はあります。直行便の選択肢が減った方面では、乗り継ぎが必要になる場合もあります。
一方、外国航空会社やLCCの路線が増え、行き先や航空会社の選び方は広がりました。関空の歴史を「衰退」の一言では説明しきれません。
この歴史をたどるうえで大切なのは、どの会社が実際に飛行機を運航していたのかという点です。
JALやANAの便名が付いたコードシェア便でも、運航するのは外国航空会社という場合があります。路線の歴史を調べる際には、この違いも分けて見ていきます。
関空の空で変わったのは、便数だけではありません。航空会社の顔ぶれ、目的地への行き方、旅の組み立て方そのものです。
今後は、開港と伊丹からの国際線移管を出発点に、JAL・ANAの欧州線、北米線、オセアニア線、アジア線を順に取り上げます。
ロンドンやフランクフルトには、いつ、どのくらい飛んでいたのか。ブリスベン・シドニー線は、JAL本体とグループ会社、外国航空会社でどのように運航されていたのか。アジア路線は何が残り、何が変わったのか。
便名だけでなく、実際の運航会社を確かめながら記録を追います。そして最後は、外国航空会社とLCCを含む関空全体の変化へ。
昔の時刻表を懐かしむだけでなく、これから関空発の旅行を選ぶときにも役立つ連載にしていきます。
資料確認日:2026年10月18日。運航路線の記録は航空会社の公式沿革や当時の資料を優先し、統計の計画値と実績値を区別しています。
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